セツクスの博物誌ーセックスの快楽を否定する民族がいる?

セツクスの博物誌 セックスの快楽を否定する民族がいる?

文化人類学的にいえば、人類の性行動は時代や民族によってさまざまだ。セックスに対しておおらかで、男女ともに性を楽しむことを焚励する社会を「性背定社会」、一方で性を恥ずかしいこととし、性に関する禁止事項がやたらに多い社会は「性否定社会」と呼ばれている。

古代中国や古代ィンドで書かれた性典をひもとくと、性に対して積極的で、男女ともに快楽を分かち合おうとしていることがわかる。江戸時代の口本も、武家社会の儒教的建前はともかく、実際には性の指南書や枕絵がさかんに説まれていたし、近世の 怨村では出女に対等の選択撤がある「夜い」も行なわれていた。セックスに対して は、けつこうおおらかだつたょうなのだ。

現代でもオセアニア、とくにミクロネシア、ポリネシアメラネシアの一部の社会は、典型的な性竹定社会で「性の楽削」の別名がある。子どもたちは十二〜十五歳ごろからセックスを始め、結婚するまで极数の相手と経験を積むのがあたり前とされている。ここでは純潔とか処女という既念がまつたく意味味をなさず、それに相当する言粢さえないところもある。あまりに性的なことにあつけらかんとしているので、十八世紀から十九世紀に、初めてこの地を訪れたヨーロッパ人に大きなショックを与えた ほどだつた。

オセアニア社会では、出性がいかに女性をオーガズムに到送させるかがきわめて重要で、それができない男性は男としての而目を失うことになつている。だから、言葉で誘つたり触つたり舌を使つたりする前戯は重要なのだ。セックスの体位も、男女がどちらも自由に励けて快感を得られる休位に人気がある。

ところで、人間が前戯を行なうのはなぜなのだろう。一説にはほかの霊長類と違って発情期がなくなつたからではないかという。発情期のサルのメスほ基本的にオスを受け入れる準備が整つているのだが、発情期のない人問の場合はそうはいかないそこで、前敕で刺激することで女性器の受け入れ態勢を整え、スムーズにセツクスできる下準備をするのではないか。といっても、サルだっていきなり性交を行なうばかりではない。たとえばボノボのオスでは、メスの肩に手を遐いたり、体をゆすつたり見つめ合つたりと、人問の前戯に近い行動も観察されている。

ところが人間のほうには、まつたく前戟がない社会があるのだ。いわゆる性否定社会がそれである。たとえばニユーギニアのある民族では、女性の性器は月経時の出血や出産のときの分泌物で穢れていて、その穢れに触れると男性にとつて命の危険さえもたらされると考えられている。だから男性が女性器に触ることは考えられない。

アフリカの民族にもそういう社会は多い。女性は割礼でクリトリスや陰唇を切除されているし、さらに異性の性器を見ても、触つてもいけないことになつている。夫が妻の胸に手を触れることさえできないところもある。

前戯なしでは、女性はヴァギナが湍れていないので当然痛い。男性は鱗力的に迫り、女性の側も必死で抵抗する。新婚カップルの初夜は壮絶だという。妻を殴つて気絶させ、やつと……というケースもあるそうだ。男性はなんとかうまくセツクスしようと

するが、女性は相手を勃たなくさせようとあらゆる対抗手段をとる。それなのに、きちんと子どもが生まれ、民族が存続しているのだからすごい。

同じ人間なのに、民族によつてこれだけセックス観が違うのだ。もしもこの二つの社会の問で結婚するカップルがいたら、さぞかし互いにびつくりするにちがいない。

世間は広い。我われが性について当たり前だと思つていることが、じつはぜんぜん当たり前ではないかもしれないのだ。でも、個人的にいえば、オセアニアのほうが平和うでいいなあ。

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